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zoom RSS 松尾芭蕉と鳥たち2 (Haiku)Pheasant & Cuckoo 番外22

<<   作成日時 : 2017/06/18 19:40  

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トピックス;『松尾芭蕉さんは「笈の小文」でキジ・ホトトギス・カイツブリ、及びクイナを登場させています!』、『紀州高野山では「雉の声」、神戸須磨では「郭公:ホトトギス」、琵琶湖では「鳰の浮巣:カイツブリ」及び美濃国では「鵜」を句題材として詠んでいます。』『この「郭公」は真のカッコウ?それとも?ホトトギスでしょうか!!いや、ツツドリ、ジュウイチかも!』
画像 さて、『笈の小文(おいのこぶみ)』の東海道編に続く、上方方面の紀行を芭蕉句の鳥題材を基にご説明させていただきます。
三河国「いらご崎」の旅を終えて、元禄元(貞享五1688)年の春に、再び伊勢神宮に参詣(口実に??)することで、越智越人をお供にし伊勢で坪井杜国(つぼいとこく:直接、伊勢海を廻船で渡ったようです??)と落合いました、御三人さんは二月四日に参拝し、その後、関西地方へと旅立ちました。

画像 この杜国さんは、かつて尾張藩御用達の米商人でもあり、多分に、紀州・大阪及び明石等の各地の廻船問屋(地域物流王)さん達とは米取引でお知り合い、沢山のお仲間もいたと想像できます。例えば、尾張藩以外の場所の伊勢方面へ伊良子崎から直接一人で往き来し、移動が出来たことは、常に、廻船などを利用してかなり自由に出来たかも??このお立場(各地のスポンサーさんと仲良し??)が後半の「笈の小文」紀行を可能にしたと勝手に解釈します
画像 次に訪れた場所は、三月十九日に杜国(万菊丸:雅号?)を伴って吉野山で桜見物を行い、その後、紀州高野山では雉の声を聴き『ちゝはゝの、しきりに古碑し、雉の声』と詠みました。
キジの雄は桜の咲く頃から盛んに連れ合い(雌)を求め、恋鳴きをするのが一般的です??。
その後、紀州和歌浦、紀三井寺、五条唐招提寺、奈良へと廻り、四月中旬に大阪に到着し、引き続いての須磨、明石と俳句行脚はまだまだ続きます。
その後、四月十九日に尼崎藩尼崎から瀬戸内海を兵庫津へ、陸路で源氏物語に登場する須磨へ、そこで『須磨のあまの、矢先に鳴か、郭公』、『ほととぎす、消行方や、嶋一つ』の発句二句を詠んでいます。

でも、郭公(カッコウ)と書いて「ホトトギス」と詠んでいます!現代本邦鳥図鑑ではカッコウ、ホトトギス、ツツドリ、及びジュウイチはホトトギス科で、小林桂助さんによれば「ホトトギス」は夜間も盛んに鳴くそうで、他の三種はあまり鳴かないそうです。 従って、夜半に聞こえるこの種のほとんどが杜鵑(ホトトギス)と云ってよいのでしょうね!
 その後、明石藩の明石へ廻り帰途につきます。須磨・明石の旅は差し詰め「源氏物語ツアー」かも?その後、名瀑として知られ景勝地・神戸「布引(ぬのびき)の滝」や「箕面(みのお)の滝き」を訪れ、四月二十三日に京都に到着しました。
  「笈の小文」紀行行脚は「いらご崎、高野山、和歌浦、奈良、須磨・明石、京都」までの区間の三人旅とした方が(以降、京都・美濃国では居心地が好いのか結構な長逗留をしています?)合点が良さそうです。伊勢から明石までは約500km近くで概ね二カ月間、その後、京都・大津及び岐阜長良川に立より前後半を加えての総距離は概ね二百五十里(1000km)となります。
画像 六月五日には松尾芭蕉さんは新古今集などにある昔から「鳰の湖」と呼ばれている湖国、膳所藩(現大津)の重役菅沼曲水・奇香亭に立ち寄り、琵琶湖で船旅を行い?『五月雨に、鳰の浮巣を、見にゆかん』と詠んでいます。
ここでは、「鳰(にほ)の浮巣」と表現していますが、琵琶湖のカイツブリの巣を指します。浮巣は安定なもの喩えとされ、心が揺れ動く状況の象徴とも云われています。直接的に「鸊鷉(かいつぶり)」のことを詠んでいませんが、詩歌や俳句ではよく使われています。ちなみに「かいつぶり、にほ、にほどり、及び潜(むぐ)り鳥」及び「浮巣」は夏の季語ですが、この浮巣は春先から梅雨前にかけて、水草が繁茂せず周囲からは一番観易い時期です。

画像 「笈の小文」紀行の最終地として六月八日、京都で芭蕉から俳句の指導を受けた美濃国妙照寺住職日賢和尚が案内役として岐阜己百亭を訪れています。その際に長良川の中川原新田(現、岐阜市湊町)の油商、賀嶋鷗歩(かしまおうほ)の水楼(水際に建つ高い建物)に立ち寄りました、
この時の笈日記(支考編)の中で『みのの國ながら川に望みて水楼あり、あるじを賀嶋氏といふ、いなば山後にたかく………波にむすぼりしかがり火の影もやや近く、高覧のもと鵜飼いするなど、………若し此の楼に名をいはむとならば、十八楼ともいいはまほしや、』と「十八楼ノ記」として記述しています。

ご当地、美濃国長良川鵜飼いの代表的な発句として『おもしろうて、やがて悲しき、鵜飼哉』、及び『又やたぐひ、長良の川の、鮎なます』と詠んでいます。
後段の「又やたぐい」の意味するところは「類ならんか」の言い掛けだそうです。
ここ美濃国加納藩内には尾張藩へと結ぶ御鮎鮨街道(岐阜―名古屋)が現存しています。芭蕉さんは「鮎なます」のお土産を片手にこの街道を通り尾張国へお戻りになられたかもしれませんね??
このように、吉野の花見、高野山、奈良、大阪、源氏物語の須磨・明石を廻り京都に至り、五月から六月に大津と岐阜を廻り、その後、熱田驛に元禄元(貞享五:1688)年七月十四日に帰着しました。先述した総行程日数は概ね五カ月の150日でした。走破距離は1000kmで単純計算をすれば一日当たりの平均移動距離は6〜7キロ弱で、他にも余程の立寄り(物見遊山)場所があったかも??、
でも、でも、尾張藩から領国追放命令を受けて一緒に旅した坪井杜国さんとは、何時、何処で芭蕉とお別れをしたのでしょうかね??? 現代の芭蕉俳句の文献では奈良吉野山までの同行確認が出来ましたが判りませんでした。

実は三河国保美は元禄元年(貞享五:1688)に大垣藩戸田家から分家、戸田氏成が領地を分けられた大垣新田(畠村)蕃であり大垣藩とは非常に関係深い処で、ここ大垣で松尾芭蕉さんとのお別れは十分可能だったかも??
ちなみに、その当時の美濃国長良川の中川原新田(金華山麓)は川湊で尾張藩北方代官所の川並奉行が管轄を行っていました。ですから江戸中期以降尾州(美濃国木曽長良下流流域)の殆どが尾張藩領と云っても過言ではありませんよね??。その当時から明治期までこの地域が尾張徳川家によって三百年間続いていたことの証であったことがそれなりに判りますね?


画像 話が飛びますが、元禄七(1694)年五月二十二日、江戸からの故郷までの終わりの旅で東海道鳴海知足亭に至りましたが、熱田・桑名の七里の渡しの波波が烈しい時などは、陸路、尾張国海部の佐屋に赴きます、夜になれば水鶏が啼くと連れから聞き、桑名蕃桑名へ渡ることが出来る佐屋の渡し、山田庄右衛門亭に泊り『水鶏鳴くと、人のいへばや、佐屋泊』、『水鶏なく、といへばや、佐屋の波枕』とそれぞれ詠んでいます。
   このクイナについては、古典、徒然草第十九段に引用されている「水鶏のたたく」もありますが、この水鶏を詠んだ時期は陰暦六月末日、新暦では八月を向かえようとしている時です。夏の朝夕に「コツコツ」と高声に鳴く緋水鶏(ひくいな)で、この鳴き声は「たたく」と云われています。この佐屋の発句は五月雨の時期でもあり、夏に入る前で明らかに「ヒクイナ」では有りませんよね!!。ここで、ヒクイナの画像をアップしておきます。
画像 話はモット逸れまして、皆さんご存知「おくの細道」は『笈の小文』紀行の二年後で、お江戸の上野・谷中を元禄二年(1889)三月二十七日に発ち、奥州、富山・金沢北陸道を巡り、美濃国大垣までの旅記で。全行程約400里(1600km)、総日数約150日間(五カ月)と云われでおり、一日当たりの平均移動距離は約10km(二里半)となり、険しい道程も想像が出来、この日程からすると馬上行脚を想像します。出立に際し『行くはるや、鳥啼(とりなき)うをの、目は泪(なみだ)』、留別の句を詠みました。でも東北地方と日本海沿い越後・越中・加賀及び越前地方で、旅先の場所・時節柄(春先・梅雨時)からのためか、「おくの細道」の発句の題材に鳥の登場場面は少ないようですね!!
画像 これらの松尾芭蕉の発句ではこのホトトギスを漢字で「郭公・杜鵑」と表現したり、単なる平仮名の「ほととぎす」を使って詠んでいます。例えば、元禄二年四月十六日に栃木那須・黒羽蕃の那須野の原において『野をよこに、馬牽(うまひ)きむけよ、杜鵑(ほととぎす)』と詠んでいます。
この発句は馬に乗った昼間の情景のようで、那須湯本付近の標高は800m前後で、ホトトギス・カッコウ・ツツドリ及びジウイチは、ご存知、夏鳥として渡来し自分で巣を作らず卵を他の鳥(晩秋から春先の桜の咲く頃までは平地で過ごしますが繁殖のため低山地へ移動する留鳥のホトトギスはウグイス、ミソサザイに托卵することが最も多いとされ、他はムシクイ、アオジ、ベニマシコ等々)に預けます。 本州中部の低山帯で多数繁殖し亜高山帯の森林域にも生息し、冬季はインドシナ半島・マライ諸島の東南アジア方面へ渡って越冬します。

画像 ところで、カッコウとホトトギスとは羽色は似ていますが、大きさが違いホトトギスはヒヨドリくらい、カッコウはずっと大きくホッソリしたハトくらいになります。鳴き方が「ホトトギス」と云うように聞かれるのでその名が付いたという話もあります。
特に中山間の広い原野のほうぼうで「カッコー、カッコー」と聞こえるので「カッコウ(郭公)」と名付けています。

なお、本ブログ「松尾芭蕉と鳥たち」を纏めるに当たり、中村俊定校注「芭蕉紀行文集(岩波文庫)」、堀信夫監修「袖珍版、芭蕉全句(小学館)」及び、山本健吉「芭蕉、その鑑賞と批評(飯塚書店)」からの文面を参考にさせて頂きましたのでご紹介させていただきます。感謝!感謝!です。
ここで話が唐突でスイマセンですが!、 「ホトトギスとカッコウ」の學名について調べてみますと「ホトトギス」の學名は『Cuculus Palicocephalus Palicocephalus カカラス、パリコセパラス、パリコセパラス(Latham)』の第一學名は”カッコウの鳴き声からきている“、第二・三學名は“頭が灰色の”、を意味します。

画像 また、同じく「カッコウ」の學名は『Cuculus Cuculus Telephonus カカラス、カカラス、テレホナス(Heine)』で第一・二學名は”カッコウの鳴き声からきている“、第三學名は英々辞典によればギリシャ語Tele+phoneは”far off:遠く“+“sound:響き”を 意味とされており、差し詰め“鳴き声が遠くへ響く鳥”と云えます。 その學名のとおり、昔から鳴き声が響き亘り遠くからでも聞こえる鳥と云えます

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