アトリ(集鳥:あつとり) Brambling 046

トピックス;アトリ『行動(群れ集まる)が名をなす』『16年ぶりに美濃國郡上藩でアトリの大群(50万羽?)が確認されました!!』『その昔、冬季にご先祖さんのタンパク源として霞網で捕獲していました。』『今から約1290年前の日本書紀にも登場しています!!』

和名「あとり」:漢字で「集鳥:集まり来る鳥」と書きますが、その昔から別名で「臘觜(ろうし)鳥」又は、獦子(かつし)鳥と書き「アトリ」と読ませております。

画像 何時も、名前の付け方を調べているお馴染みの「大言海」(昭和7年の冨山房発刊)の本文説明では[臘觜(ろうし)鳥・獦子(かつし)鳥]「集鳥ノ略ナルベシ(泊瀬 [ハツセ]、はせ、速翔 [ハヤツバサ]、はやぶさ)、即チ、現今、あッとりト云フ、あぢ(阿治)語源ヲモ見ヨ、漢字ハ蝋觜ナルベシ、觜ノ色、黄白ニシテ蝋ノ如シ、今名、あッとり。雀ヨリ稍大キク、觜、黄白、腰ハ純白ニシテ、喉ト胸トハ、茶色ナリ、頸背ハ、雄ハ、黒クシテ、雌は、暗褐色ニ、薄茶色ノ斑紋アリ、秋,北地ヨリ群リ来ル。」と記述しています。加えて、この後段の出典欄には「あッとり」の漢字名は「臘觜(ろうし)鳥」、古くは欣明天皇期(西暦540年前後)の欣明(きんめい)記、また、天武記、(680)や万葉集(759年)にも記述が有るとされています。また、しつこく「あぢ(阿治)」語源ヲ見ますと「集(アツ)ノ轉、群集ノ意…「臘觜(ろうし)鳥」も集鳥(あつとり)」とも解説しています。やはり群れ集まることを意味するようです。

画像 そこでWeb情報でモットしつこく検索してみますと、日本書紀(720)巻29、天武天皇紀7年12月(686)に、『十二月癸丑朔己卯、臘子鳥弊天、自西南飛東北。是月、筑紫國大地動之。:アトリが天を覆って、西南から東北に向かって飛んだ」とあります、同時にこの月に筑紫の国に大地震があったことも記されていています。加えて、同9年11月にも、「十一月壬申朔、辛丑、臘子鳥蔽天、自東南飛、以度西北。アトリが天を覆って、東南から西北に飛び渡った」と記述して有ります。その他にWeb情報には「アトリ」の大群が地震の前兆であったかのような記述も存在するとなっていました。このように古代から秋終から初冬にかけて「アトリ」は本邦へ集まって遣ってくる鳥であるこが知られていました。

画像 ところで、改訂増補「日本動物図鑑」北隆舘(昭和22年発刊)P76では「スズメ科」に属していましたが、現代図鑑ではアトリ科19種に分類されています。この中で本邦ではカワラヒワ、ウソ、オオマシコ、シメ等を見ることが出来、本邦滞在時に群れをなして棲息し、春先、アトリは大集団となり繁殖地に向います。
この図鑑の内容では『すずめヨリ少シ大形ニシテ、色彩比較的顕著ナリ、冬鳥ニシテ秋季多數群集渡来シ、食用トシテ霞網ヲ以テ捕獲セラルルモノ多シ、背面ノ羽毛ハ頭部ヨリ下脊マデ黒色ニシテ黄褐色縁ヲ有シ、腰ト上尾筒ハ白色ニシテ少許(すこしばかり)ノ黒羽ヲ混ズ、肩羽及ビ少雨覆ハ橙黄褐色、其他ノ翼羽及ビ尾羽ハ黒色ニテ中・大雨覆羽ノ先端及ビ風切羽ノ外縁ハ淡黄褐色ナリ、下面ハ上胸迄橙黄褐色ヲ呈シ、以下ハ白色ニテ脇ニ少許ノ黒色斑點ヲ有ス、嘴ハ橙黄色ニシテ先端黑ク、脚ハ黄褐色ナリ、翼長93mm内外、嘴峰13mm、本種ハ東半球ノ北部ニ於テ廣ク蕃殖シ、冬季ハよろーっぱ及ビあじあノ中部地方ニ至リ越冬ス、本邦ニハ秋季渡来シ、冬季全国ニ亘リ棲息ス、』と説明していますが、この図鑑は当時の中等程度の學校の先生を対象とし自然科学を学ぶ人の入門書として編纂されているようで挿図はありますが画像は当然有りません。


画像 また、現代本邦鳥図鑑では「アトリ」は渡来時、「時にして数万羽,或は数十万羽が集まると記述しています。冬季、この鳥は草の種子やナナカマド(球径5mm程度)など木の実(中種)を好むそうですが、我邦の中山間地は半世紀以上前から人工植林化(スギ科・ヒノキ科)されていますので彼らの好む餌はそれなりに存在しているわけですが。ほぼ一箇所に数万羽、若しくはそれ以上何十万羽数のアトリが集まることは半信半疑でした。しかし、2010年3月5日付けの美濃国新聞(岐阜新聞)で帰行途中の『 野鳥アトリの大群飛来 郡上. 天を覆い尽くすような黒い固まりの乱舞―。郡上市(郡上藩)八幡町深山で野鳥アトリの大群(50万羽とも)が発生と!?!』との記事もありました。

画像 これらの図鑑の説明は写真を中心としておりこの事実の確認をすることが難しく半信半疑でしたが、現実にこの深山(みやま)に大群となって繁殖地のユーラシア北部へ渡る途中の春先の渡り鳥の事実を新聞記事で確かめられた訳です。これを鳥覗き見人だけでなく見聞き出来たことは貴重で幸な事と思います。今回、この大群は16年振りともあり人々が自然界の営みを観て知ることは大切ですので記事をお借りしアップさせて頂きました。
もう少し名前に拘りますと倭名抄「本名:倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう:930年代の日本最初の分類体の漢和辞典)」では「阿止里」と云いますし、臘觜の「臘:ろう」を現代漢和辞典で調べますと右側の小字は「動物の群り生えた頭上の毛の総称で、多く集まる意を含む」とも解説もしています。いずれにしても多く集まる鳥と解釈できます。この「アトリ」の例を見れば1300年以上前からその名称もありシッカリと自然の営みを繰り返し現在に生きています。


画像 初春には他の渡り鳥も同様に北帰行のニュースを見聞きします。第4画像は能登半島輪島付近のアトリ科マヒワの春先の渡り状況です。アトリ類などは一般的に本邦を大集団で通過し北緯60度前後のタイガ地帯(針葉樹林帯)の繁殖地へ向うとされています。鳥達の幸多かれと願うばかりです。
ここでユーラシア西北部の針葉樹林帯上空(2007年3月の雪解け時?)を飛ぶ機会が有りましたので画像を添付します。

  ここで學名を探って観ますと、『Fringilla montifringill; フリンギルラ、モンチィフリンギルラ(Linne)』で第一學名は“小さな鳥”、第二學名は“山の小鳥』を夫々意味していると云われています。また、本邦では『冬鳥として大きな群れとなってたくさん渡来し、山ろくの低木林や山裾の畑で群れなって生活すると』されています。
 仮に、現代でも科学(自然学)的知識の普及がなければこの鳥たちの営みが天変地異の予兆となると仰るお方が多いかもしれませんね??

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