トキみ~て! 見学記:Japanese crested Ibis

トピックス;『佐渡まで行かずに寺に泊まって「トキ」が見学できますよ!』『學名は何故か!珍しく和名の「Nipponia Nippon :ニッポンニア ニッポン」を採用しています!』『絶滅50数年後の放鳥10年間でこれまでに約300羽以上が天に舞ってくれました。』『この鳥の別名、朱鷺(しゅろ)または、桃花鳥(とうかちょう)はシーボルトさんが関与していますよ!』『スイマセン、野鳥ではありません!』
画像 2018年10月7日に佐渡まで行かずに新潟県長岡市(1959年の昭和34年に旧三島郡与板町に編入)寺泊夏戸地内に今年8月に開館した長岡市「トキと自然の学習館」のトキ分散飼育センターの一般向け観覧棟「トキみ~て(入場料金100円)」でトキの見学をしました。
そこは旧寺泊町立夏戸小学校の校舎を使っているようで、小高い丘の上にあります。特に目立って特大な案内看板?などがあるわけではない?ので、ウッカリすると通り過ぎてしまうかも知れませんね!、
近くには夏戸城跡があり夏戸城跡保存会の人たちがつくった「夏戸城跡巡り散策路」もあるそうです。
全国では佐渡市以外でのトキの一般公開は、石川県能美市の「いしかわ動物園」に次いで2例目だそうで、トキの桃花鳥(朱鷺)色の美しさを体感しました。

画像  かつて本邦で生れたトキは1950年以降には絶滅しており、その約五十数年後の2008年9月に佐渡市新穂正明寺地内で中国からの朱鷺を飼育し、繁殖させて放鳥が開始された。
2009年には仮設ケージから自己の意思で飛ぶのを待つ(ソフトリリ-ス)方式で20羽が五日間かかり飛び去ったそうで、10年後の2018年までに計300羽以上が放たれたと云われています。
画像当初は、個体識別のため羽根裏に着色していて、放鳥の半年後の2009年5月には初めて日本海を越えて最短距離で58㎞?の本州(長岡市地内)に渡ったことが確認されています。また、2008~2018年の11年間で佐渡から300㎞ほど離れた、北の秋田県の仙北市や南の福井県でも観察されています。
その後、放鳥のトキ個体識別標識をするために、当初の風切羽の裏(四ケ所?)のカラー別マーキングに追加し?その後、右脚に三個のカラーリング、左脚に登録番号が施されていますが一般観察(部外)者が色識別するのは少々難しい(沼沢地では下部脚が短くカラーリングも小さいく泥等で汚れる可能性あり!)かもね?

画像  ここで内田清之助著「天然記念物・鳥類編:創元社1960発行」P35~38の中の、「トキ」の天然記念物指定の経緯を調べてみますと、その一つとして今から約200年近く前の文政年間に『1796年生まれのドイツ人シーボルトが日本で発見し、“Ibis Nippon:日本の鳥”と名付けてその著、”Fauna Japonica:日本動物誌 “ の中でテミング(1778年生まれ)によって記載され、世界の学会に紹介されたのが始めてである。
この鳥は、昔はずいぶんたくさん日本にいたが、維新後乱獲のため著しく減少し、一時は、ほとんどそのあとを絶ったかと思われるほどであった。しかし、近年、石川県と新潟県の一部に、わずかに現存することがわかり天然記念物として指定された。』と記述しています。
 画像 私たちが知っているこのシーボルト(文政6年:1823年にオランダ商館付き医師として長崎に着任)が1829年(当時33歳?)に国外追放させられオランダに帰り、その15年後に前述の「日本動物誌」の編纂(1844~1850)した際に、オランダのテミンク(当時66歳)と26歳若いドイツのシュレーゲル(1804年生まれ、当時40歳)の二人に大型脊椎動物を担当させたらしく。この動物誌の中で日本産(東アジア)の動物は、特に彼らの連名による學名が命名されたものが多いと云われています。
 画像 話が変わり、『佐渡のトキは昭和六(1931)年に発見され、加茂村・新穂村・河崎の山中がおもな生息地であるが、その他、南面の諸村にも少数すんでいる。多くは田や渓流の付近にいる。春から晩秋ぐらいまでの間に多くの人目にふれ、冬の厳寒のころは割合に見られない。
----佐藤(春雄)氏の調査によると、昭和二十七年には27羽、二十八年には14羽、三十一年には11羽ということであった。』
加えて、『トキは四月・五月・六月ごろが繁殖期である。林の中にある大木の上に枯木や蔓(つる)などを材料にして直径五〇ないし七〇センチの巣をつくるが、大きさの割合に粗な巣で、その中に三、四個の卵をうむ、卵は卵円形で、一端がややとがり、地色は淡い緑青色で、それに褐色の細かい斑点が密在する。前述のようにトキの生息地は数カ所あるが、いずれも現在は個体数が著しく減っており、保護を加えねば絶滅の恐れがあるほどの危険な状況になっている。』と1952年にトキの特別天然記念物指定の経緯、及び、絶滅の危機や保護の必要性を同書で記述しています。
 画像  ところで、約65年前の北隆館発行の改訂増補「日本動物図鑑」1953年版のP156で鳥図鑑の内容を少し詳細に調べてみますと、『一見さぎ類ニ類スルモ、嘴偉大ニシテ圜筒状ヲ呈シ下方ニ彎曲ス、頭部ノ前半ハ羽毛を被ラズ、赤色ノ皮膚裸出シ異様ノ観アリ。尾ハ短クシテ角尾ナリ.羽色ハ全身白色ニシテ、翼ノ裏面及ビ風切羽ト尾羽ハ極メテ美シキ所謂とき(鵇)色ヲ帯ビタリ. 嘴ハ黒色ニシテ、 脚ハ肉色ヲ呈ス.大サ翼長400㎜内外、嘴峰ハ長ク150~200㎜ニ達ス.幼鳥ハ白色ノ部分凡テ灰色帯ブ、本種ノ翼羽ハ矢羽根・抹茶用羽箒(はねぼうき)ニ用ヒ珍重セラル、分布ハ東部しべりあヨリ満州・中國・本邦ニ亙ル、我國ニテハ維新迄ハ各地ニ多ク棲息セシモ、現時ハ殆ド其跡ヲ絶チ僅ニ佐渡及ビ石川懸ノ一部ニ見ラルゝノミ、但シ朝鮮ニハ今尚多少目撃セラル』と現在の図鑑が写真を中心とする内容になっているのに較べ、イラストを表示し各鳥の部位特徴・姿や寸法及び棲息場所等々を前述のように丁寧に記述しています。
  もう少し名付け等について、「大言海」冨山房(昭和7年発刊:1932)で調べてみますと、『とき』は「桃花鳥(とうかちょう)[鵇]、[つきの轉](一)古名、ツキ。鳥ノ名前、形、鷺ニ似テ、全身白ク、嘴黒クシテ長ク、後頭部ノ羽毛ハ冠状トナリ、背ハ灰色ナリ、翅の裏、淡紅ニシテ美シ、朱鷺(しゅろ)(二)ときいろ(鵇色)ノ略」と解説しています。
画像 學名について調べますと、シーボルトが帰国した6年後の1835年にテミニック(Temminck)さんが第一學名「Nipponia」を“日本:ニッポン”、第二學名の「Nippon」は”日本“と一属一種としてラテン語化し命名しました。英名はJapanese crested Ibis: 日本の冠羽(とさか)のある鳥となります。
その昔、トキの別名として桃花鳥(とうかちょう)・鵇(とき)・朱鷺(しゅろ)と三種類の名がこのようにあったようですね!。
同様に、同年、“ムギマキ”種名を和名のままの源學名“Siphia Mugimaki:シフィア ムギマキ”、現學名“Musicapa Mugimaki:ムシカパ ムギマキ”とし、1836年には“青啄木鳥:アオゲラ”を “Picus Awokera Awokera: ピカス、アオゲラ、アオゲラ”として學名を付けました。
余談ですが、Temminckさんは1935年に同時に和名「コマドリ」の學名を“Luscinia Akahige : ルシニア アカヒゲ”と 名付け、同年、和名「アカヒゲ」の學名を“Luscinia Komadori : ルシニア コマドリ”として學名先取しています。我々、邦人邦名にとっては學名名付けの重大事故ですよね!
 でも、1730年代に西洋人の博物(哺乳類等)学者達にとってはスウェーデンの分類学者「カール・フォン・リンネ」さんが、提唱した新たな生物分類を求めており、当時はこれに対して、新大陸で諸動物を新しく発見し、學名付けの先取権利のために一番乗りで登録することが第一で善いこととして、シーボルトとの連携が崩れた様ですね?
画像  話は変わりますが、地元新聞社の情報(新潟日報10月8日、17面.「トキ放鳥10年」記事)によれば『今までに佐渡の空に舞ったトキは305羽を超えたが、繁殖率が向上し千羽までは増える!』との記事、ごく最近のTVニュースに依れば『集団育成による鳥インフレによる事故対策や十数年ぶりに中国産トキ鳥の番の二羽移入による繁殖強化対策』を図る便りもがありました。ご苦労様です!!
でも、でも、本邦のトキが今後、その子孫も含め数十年間生き延び、半世紀・世紀単位で自ら生存していくには、繁殖させ見守ることも大切ですが、野生に生きる野鳥の生存にはヨーロッパの鳥図鑑「Pocket Garden BIRD Watch」の中で『常に、餌・水飲み場・営巣場所、及び塒の確保、所謂、四点セット(A regular supply of food and water, a place to nest, and somewhere to roost at night.)』 が必要と記述してあります。

画像  例えば、昭和初期(1931年頃)に石川県で生存していた状況を『羽咋郡邑知潟(現羽咋市)に接する周辺の丘陵地で, 諸処に多数の溜池が散在し、丘陵の間には沼沢に沿って水田が連なり、丘上には灌木や雑草の間に松の木が点在している。トキはこの山間に生息し、沼や水田をわたりあるいては、サワガニ、エビ、タニシ、小魚、大形昆虫等をあさってなかでも羽咋郡羽咋町の眉丈山(188m)というところでは、営巣繁殖することが明らかになった。』と内田清之助さんが当時の自然界での生息状況を前述の「天然記念物・鳥類編」で解説しています。

その昔トキが棲息していた佐渡地区は面積がせいぜい約100~150平方キロで限られた地域です。
仮に、放鳥されたトキにとっては昭和初期の絶滅以前に棲息していた自然条件(今現在では不可能な事ですが)に戻って、それに近い地形・地物等の場所や「餌・水飲み場・営巣場所、及び塒」の十分確保されたとしても、生存数はオーダー的には90年前の記録が証明されているように30羽前後です。さてさて!!
今後、10年~20年間で新聞記事のように1000羽単位のトキを放鳥する場合には、佐渡地以外の地で彼らにとっての独自の餌・水場・営巣場所、及び塒場の四点セットの確保や全国各地で見守り観察することが必要ですよね!これからが放鳥した(人間)側の正念場です。そして真の責務となるのでしょうね?

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   なお、話が突然、変わってスイマセン!が、本邦で同じ境遇の絶滅させてしまった、大型で目立つ「コウノトリ」の放鳥を見守るその一つの手法として、全国の一般の観察者のためのWeb情報等でコウノトリ個体識別特定できる検索システムがあります。例えば、長浜市西池で『8月上旬に豊岡から滋賀県へ遣ってきて七羽の群れの中で2018年10月26日の現在まで滞在している一羽のコウノトリ』の画像をゲットできました。これを『IPPM-Ows(コウノトリ)の個体群管理に関する機関・施設間パネル)』のホームページを利用したところJ0193と特定できました。 
画像  このコウノトリは『本州兵庫県豊岡市の野外(山本地区人工巣塔)で2018年4月7日に孵化し兵庫県立コウノトリの郷公園が足環装着したオス、6月14日に巣立した』と判りました。私たちにとってはWeb情報システムを利用することは親近感が湧き、見守る手法の一つになります。このコウノトリJ0193の画像をアップしておきます。でも、残念なお知らせですが、このJ0193は2018.11.15徳島県鳴門市にて享年7か月で死亡しました。
いずれ、仮にトキも数多く放鳥された場合などは、所在・個体情報等を誰でもが知ることが出来る検索システムの構築が必要になるかもしれませんね??
 以上、何時ものように「クドクテ」すいませんね!??




 でも、一度、「下記Web情報」で『佐渡まで行かずに寺に泊まって「トキ」』がWeb見学できますのでこれをご利用して頂きたく思います。『 https://www.city.nagaoka.niigata.jp/kurashi/cate09/toki_gakusyu/ 』さんの一部御画像をお借りしています。よろしくお願いしますよ!!
報告: Webによれば令和元年6月7日に佐渡トキ保護センターで20回目の放鳥(計20羽、雄14羽、雌6羽)がなされたと云う情報がありました。

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